第一稿は、第一子誕生の話から。
妻が切迫早産のリスク入院24時間静注2週間を経て、36周を無事に迎え退院したのが5日前。
入院前は寝る前に20分ほど時間を作って行っていた妻へのマッサージも退院後は控えていた。 何故か足の浮腫みも無くなっていたし、悪くもない状態に手を加える必要もないだろうという判断もあって。
そんな出産予定日20日前に、長い夜明けが訪れました。
03:40 「お腹痛いかも?」 と 起こされる。
妻が私を起こすくらいだから普通ではない何かが起きてるんだろうなと。(前回の入院もほぼ同時刻に異常発生だった。)
かかりつけの病院にすぐ電話をかけて、担当の助産師さんに状況説明をしているうちに、妻が簡単な着替えを済ませて電話に出られるようになったので電話を交代した。
病院:「入院道具を持って病院に来てください。」との事。
電話を切り終わって5分もしないうちに車に乗っていた。 妻もある程度想定していたのか入院二回目ともなると手際良いもんでした。
04:30 病院到着
幾つかの検査を受ける妻を廊下で待ち、出産の兆候が確認され、”妊婦さんセット(ワコールの肌着・産後オムツ・新生児用オムツ等の一式)”を渡され、陣痛分娩室LDR(Labor Delivery Recovery)へ移動。 分娩モニターが付けられ助産師さん看護師さんはLDRに残らずどこかからかモニターしている様だった。
自分が出来た事といえば、痛み(モニターで見える筋収縮)の波が来る頃に合わせて、テニスボールを尾骨の辺りへ押し当て押圧するだけ。
でも、妻曰く「 テニスボールが有るのと無いのでは、痛みの感じ方・安心感が全然違う」との事。
世の立会い希望な男性陣はマスターすべき儀式なのかもしれません。詳細な圧迫部位は奥様にその場で教えてもらうのが、様々な意味で一番だと思います。
何度か、助産師さん・看護師さんが妻に状況を確認しにくる。 どうやら前駆陣痛が周期の波を整えずに訪れている様子で、廊下を歩いて陣痛を促してみる?・・・・などと言われているうちに、ホンマモノの陣痛が始まってしまったようで、結局、通常分娩体制の運びへ。
自分の立ち合い希望の意思は強かったのだけれども店を閉めるわけにも行かず、私の母に交代をお願いし、職場へと向かった。
=-=-= 仕事 (AM)=-=-=
来客の波が終わりデスクへ腰かけPCを眺めると、ハングアウトにメッセージ着信アイコンが。 開いてみると、文章が幾つかと、何よりフライングで画像が先に目に映ってしまった。
おぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっぉぉーー!!!!!!!!!!!
メッセージを読むと
「11:xx 自然分娩にて無事元気な男の子が生まれました。」
と、出産に立ち会ってくれていた母から。 睡眠不足も忘れた。
恵まれた昼休み2時間を活かして、片道30分。20分程度の面会になるけれど、人生最高の20分だった。
ノロケを割愛すると書く事もロクにないわけですが。
この出産当日、出産2時間をまたぐ頃の話。(昼休みの面会時)
妻は、私が「体はどんな具合?」と聞いた時に返した『全身の血管が張り裂けそうだった。』という返答を、後に(2日後だったかな)会話に出るまで覚えていなかった。
出産が終わっても、母体は落ち着いているように見えたのだけれど、あんな発言を覚えていないという妻に驚きを隠しました。 命がけの大変なお仕事に感謝です。
チビは名前がまだ決まっておらず、一番最初のエコーの時伝えられた「ソラマメの大きさ」から呼称としていた「マメちゃん」だったのだけれど、流石に20日も早い出産だけあって2600〜2700g程度の軽量級ながら元気な姿、か細い泣き声。 無事に生まれてきてくれた事に、様々なサポートと妻の努力に感謝です。
父親として何ができたかというと・・・・・
何もない気がします。 昼休み・終業後に毎日見舞いに行って洗い物回収して洗濯&着替えを渡していたくらいでしょうかね。
生後しばらくの赤ちゃんは健康な範囲では、授乳か排泄以外は起きないし。出来ることは少ないですね。